この記事は、日本語教員試験2024から二晩が明けた2024年11月19日に書いたものです。前回の記事に引き続き、書いていきます。
日本語教員試験2024回体験記(ちょっと冷静になった翌々日付)
試験から2日が経ち、少し冷静さを取り戻しました。この数日間で振り返る中、ふと頭をよぎるのは、「日本語教員試験は、独学で現職ではない未経験者が日本語教育能力検定試験の勉強だけで合格できる試験だったのか」という問いです。答えは人によって異なるでしょうが、私なりに感じたことを記録しておきたいと思います。
1. 試験の「正体」とは?
日本語教員試験については、その性質が試験前から曖昧でした。「実務指向」つまり実際の教育現場で役立つ力を測る試験なのか、それとも「教養指向」つまり知識の広さと深さを問う試験なのか。結果として、試験を終えた今の感想は、「教養指向」に近かったのではないか、というものです。ある資格受験予備校の先生が、司法試験や行政書士試験は「教養試験」で、司法書士試験や宅地建物取引士の試験は「実務試験」だと分類しました。また、学生時代の大学教授の「つまらないことをチマチマ覚えていくのがプロってもんだ」という言葉を思い出すと、日本語教師というプロは、本当に求められることがたくさんあるのだなというのが改めて思うところです。
そして、出題範囲が表として示されていたとはいえ、それをもとに具体的な試験問題を予測するのは容易ではありませんでした。「ここが出るかもしれない」というざっくりとした勉強しかできず、膨大な知識の項目を前に試験直前まで悩むことになりました。
2. 効率的な勉強法とは?
私は独学でこの試験に挑みました。養成講座や対策講座には参加していませんが、ヒューマンアカデミーの赤本などのテキストは活用しました。最新版としてのアルク本(「まるわかりガイド」・「用語集」)も役に立ちました。これらのテキストは情報量が豊富で、知識の蓄積には役立ちましたが、それでもやはり、実際の試験問題を解く「手法」をいかに身につけるかが最大の課題でした。
よく言われる「過去問を回転する」という勉強法も実践しました。しかし、同じ問題を何度も解くうちにスピードは上がるものの、単語レベルでの記憶に偏り、「問題文をよく読む」姿勢というものが、試験直前に近づくほど忘れてしまっていたような気がします。
3. 「習得」と「学習」のギャップ
試験中に「クラッシェンの仮説」が出題されたのですが、皮肉にも「学習が習得に繋がらない」というその内容が、自分自身の試験体験にも重なりました。いくら勉強しても、それが得点に直結しない。試験で求められる「習得」とは、最終的に正解を選び得点を取る力です。いったいぜんたい、どうしていればよかったのでしょうか・・。私の仕事の「相方」は、口癖で「どうするんすねー?」といつもいいます。まさにどうするんすねー?です。
4. 試験準備の現実と理想
「お金をかけず、時間も節約して合格したい」という願いを抱きつつ、日常生活や仕事と両立しながら勉強を進めるのは難しいものです。漫然と赤本を読むだけではなく、具体的な「解答力」を鍛える方法を探る必要があります。しかも、即答に近いスピード感で。私自身は「効率至上主義」ではありませんが、試験に合格するためには、ある程度の効率的なアプローチが求められると痛感しました。「浅く・広く」と、「深く・緻密に」という矛盾、アンビバレンス、平たく言えば無茶振りに応えていくのが、国家試験というものですね。
5. 試験が教えてくれたこと
今回の試験を通して学んだのは、繰り返しになりますが、広く浅く知識を押さえるだけでなく、深く緻密に考え、スピード感を持って解く力が必要だということです。試験問題からは、まるで「聖徳太子を超えろ」というメッセージが込められているようにも感じました。矛盾に満ちたこの感覚が、試験の難しさを象徴しているようです。
この試験は「日本語教師として、このような教師像を求めている」なんていう壮大で、歯の浮くようなことは言いたくありません。文科省や、養成講座、対策講座の先生ならば建前としてそう言うもんでしょうが、現場感覚からすると、深読みして、演繹して、日本語教師はこうあるべきだって広げすぎると、社長の言葉を拡大解釈してパワハラの根拠にする中間管理職みたいでダサいので、今はあくまでも「資格試験というものは、合格するか、しないか」を考えておけばいいのではないかと思います。
6. 自分なりの日本語教師像
日本語教師は学び続ける存在、というのは言うまでもありません。もういいよ、勉強したくない!っていうベテラン先生の言葉は、これまでにも勉強してきたし、今現在も積み重ねていることを背景にした謙遜です。自分の知識貯金だけで仕事をずっと回せていくような方なら、ものすごい知識の持ち主ですし、そんな方なら学ぶのが嫌なはずがありません。
私は、ぞんざいな表現をすれば「学習者をダシに、自分も学べる」のが日本語教師の最大の楽しみであると思っています。楽しくやるには「わかる」必要があります。わかるから楽しい→楽しいから続く→続くと、ある日「沸騰する」と、司法書士の山本先生が表現されています。私はこの言葉が大好きですね。
おわりに
試験に向けた準備については、まだ答えを見つけられません。しかし、今回の経験をもとに、これからも日本語教員試験について考察を深めていきたいと思います。日本語教師を目指す方々が、少しでも準備の道筋をつけられるよう、私自身の経験を共有していきます。
次回は、試験対策の具体的な方法やアプローチについて掘り下げていく予定です。「歴史の証言」を記録し続けていきましょう。
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