イラン人仮放免事件

講演会用エピソード集

この記事は、私が日本語教師になる前に経験した行政書士業務としての仮放免申請に関する事件のエピソードです。守秘義務を考慮して、一部内容を一般的な表現に改めています。

一言で言うと・・・

日本人の配偶者として在留資格を持っていたイラン人が、離婚により在留資格を失ってしまった。犯罪歴があり、在留資格が更新されなかったためオーバーステイとなり、入国管理センターに収容されたが、キリスト教に改宗したり、ハンガーストライキをやってなんとか仮放免となった。

受任の経緯

この案件、私が直接受任したものではありません。東京の行政書士事務所から電話があり、「そちらの事務所の近くにある入国管理センターに収容されている依頼者(イラン人)の仮放免手続きの現場サポートをお願いしたい」ということでお引き受けしました。

入国管理センターとは

ここは、一般の外国人が定期的に訪れるようないわゆる「入管」ではありません。なんらかの理由があって、退去強制になるまえに収容される施設です。昨今、施設内で外国人が亡くなってしまう事件が起こって、報道されていますね。

ここはもう、素人の目で見れば「刑務所」のようなものです。面会するときはドラマでみるようなガラス越しです。一人収容者に対して3人ほどの職員がついて対応します。中を見学したことがある市議会議員から話を聞いたことがありますが、国の施設らしくとてもしっかりとした作りで「堅牢な」感じだったとのことです。

「理由書」の作成サポート

仮放免の手続きをするには、保証人のサインなどが必要な書類に加えて「理由書」を提出することが求められます。もちろん日本語です。弁護士、行政書士とはいえども本人の預かり知らぬところで勝手に書けませんので、面会して状況を把握し、本人の意志に基づいて作成しなければなりません。

この依頼者は実に日本語が熟達していて、上手に作文が書ける方でした。A4用紙2枚にびっしりと、仮放免が必要であることの理由が書き込まれていました。

「私は◯年前、薬物の売買をして警察にパクれました。」

私「うーん、パクられた、ではなくて、逮捕されました、にしようか」

こんな感じで添削の繰り返しです。このときはまだ私は日本語教師ではありませんでしたが、仕事で外国人に日本語を指導する経験としてはこれが初めてだったといえます。

仮放免、そして空港へ

仮放免の当日、車で空港に送るために迎えにいきました。大きなゴロゴロケースに荷物をまとめて、晴れやかな表情で出てきた彼。入管の職員さんもやさしく丁寧に外へ導いてきています。このとき、収容者に対して差し入れをするなどの支援をしている方々が面会を待っていました。後に議員になったはずの方も混じってましたね。時々地元のキリスト教協会の牧師さんもいらっしゃうるようです。まだこの場に慣れない私をよそに、「出てきたの!よかったねぇ!」と盛り上がるこの方々。なるほど、自分の知らない世界を垣間見た瞬間でした。

車に乗せて、空港へ。一応乗り込むのを見届けようと一緒に入りました。国際線で国に帰るのではなく、保証人がいるところに国内線で帰るのです。お土産を買いたいというので、地元の名物を紹介したところ2つ購入してきました。1つを「センセイ、ありがとう。これセンセイに。」と私にくれたのです。そして彼はつぶやきました。私は2週間後、あっちの入管に出頭しなければいけない。でも次はもう逃げたいよ・・。私は???となりました。とんでもねぇことを言ってるなと思いながらも、聞かなかったことにして、「元気でね!」と送り出したのです。

まとめ

外国人の収容、仮放免に関しては様々な問題があって、大変むずかしい議論です。私はまだこう改善すべきだと主張するほどの知識や経験がありません。ただ、外国人が依頼者であった場合、日本語を上手に伝え、時には指導することがとても重要なことであることを、このような体験をもって知ったのでした。

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